月別アーカイブ: 2018年8月

熱流体解析についてのラジオ講義

最近はあまりラジオに耳を傾ける人も少なくなってきているかもしれませんが、音声だけというのはそれはそれで集中して聞く事ができるので楽しいものです。
映像があると興味がなければすぐに飛ばしてしまうものでも、音声だけだと次に何を言うのかわかりませんから興味を持って聞く事ができる部分があります。
それだけに普段はまず気にしないようなものでも、興味を持つ事があったりして、ラジオ講義などはなんとなく聞いてしまったりするものです。

なんとなく聞いていた講義

何気なくラジオを付けていたのですが、そこで熱流体解析の講義が始まり聞き入ってしまいました。
熱流体解析という言葉自体はどこかで聞いたことがあるような気がしていたのですが、実際にそれがどのようなものなのかは知りませんでしたから、概要だけでもわかればいいなと興味を持ったのです。
これがテレビでしたら多少気になってもすぐに小難しい内容に嫌気が差して番組を変えていたところでしょうが、ラジオの場合ですと映像がないぶんだけ講義の内容に集中することができ、何となくそのまま聞き入ってしまいました。
話し方はとても丁寧で難しい内容にもかかわらずすんなりと聞くことができるのは凄いと感じましたが、内容が頭に入ってきたかと言われると少し疑問なところがあります。
そもそも、熱流体解析の講義という時点で明日になったら内容は忘れているだろうなと思いながら、聞いていましたから、その通りに鳴ったというわけではあるのですが、もう少し理解をしたいところではありました。

予備知識ゼロではちょっと難しかったです

熱流体解析講義は丁寧でわかる人には、きっとわかりやすいのだろうなと感じさせてくれる内容ではありました。
しかし、残念なことに予備知識ゼロから内容を理解するのは難しいものがあり、全体の概要を掴むこともできませんでした。
このような講義はある程度理解できることを前提として行われているフシがありますから、これも致し方ないのかなというところはありますが、どうせだったら予備知識がない状態からでも理解ができる内容を放送して欲しいと感じました。
そのように言ったとしても、おそらくは熱流体解析の基礎を学ぶためにはそれ以前に覚えなければいけないことが山ほどあるわけで、予備知識がない人にもわかる講義にしようとすると、全く関係のないところから始めなければ行けないわけで、そうなってしまうと熱流体解析の講義が成り立たなくなってしまうので仕方のない部分なのかもしれません。
それにしてもこの内容を聞いて理解できる人は、本当に頭が良いのだなと感じました。

 

ラジオに投稿された病児保育もできるベビーシッターの悩み

ラジオを聴いていたら、病児保育もできるベビーシッターの悩み相談が流れてきました。
最近では共働きの家庭は増えてきたし、核家族であることも多く、子供が病気をした時に預け先に困る人たちがとても多いそうです。
子供が中学生ぐらいになれば家に一人にしても電話などで連絡もとれますが、小さい子となるとそういう訳にもいきません。
そんな時に病児保育もしてくれるベビーシッターは、親からするととても便利でありがたい存在なのです。

病児の定義が曖昧

まず病児という言葉の定義なのですが、風邪をはじめ発熱や嘔吐などの体調に不安のある幼児や子供のことを指します。
普通は保護者が看病しますが、どうしても仕事を休めない時などには病児保育を利用することになります。
病児保育は施設で預かる「施設型」と自宅で行う「訪問型」の二種類があります。
自宅で保育を受けることができるので、病気で心細いであろう子供にとって訪問型の保育は、安心感を持ち受けることができるというメリットがあります。
この投稿者は訪問型で、自宅にて幼児の保育を行っているということですね。
病児保育を行う人を病児保育士と呼ぶそうですが、病児保育士という国家資格はなくあくまで総称です。
普通の元気な子と違い、変化する症状を見ながらの保育となるので神経をとても使いますね。
安全に配慮しつつも症状の悪化などが起こった際には、病院を受診するかどうかを判断をしなければならないなどと観察力や対応力が要求されます。

責任はどこにある?

このように病児保育もできるベビーシッターはとても便利で、幼児をもつ働く親にとっては無くてはならないものですが、万が一子供に何かあった場合には一体責任はどこにあるのでしょうか?
投稿者もこのことについて悩み、また不安を感じているそうです。
施設型の病児保育であれば、病院に併設されていることが多いので、緊急時には医師に診てもらうことも可能ですし、スタッフも数人はいるので判断もしやすいでしょう。
しかし訪問型のベビーシッターは一人で判断しなければならず、さらに子供が幼いとなれば意思疎通も難しいと思います。
もちろんほとんどの事業所が保険には加入しています。
万が一のことが起こらぬように、預ける側も事細かにその子の体質や病歴、心配なことなどを書面など残るもので伝えるようにし、預かる側も子供から目を離さずに丁寧に保育していくことが大切ですね。
人の役に立つ素敵な仕事ですが、病気の子供を預かるというのは本当に大変です。

ラジオで伐採の良い側面を特集していました

ふとラジオを聞き流していたら、森林伐採の特集をしていました。
きっと環境問題の啓発活動の一環か何かだろうと聴いていたら、どうやらそうではないみたいです。
むしろ逆に、森の木を切ることについての意味やメリットが説明され、目から鱗な気分になりました。
さらに言うと、切らなすぎることは悪影響もあるのだとか。
物事はひとつのイメージだけにとらわれてはいけないのですね。
このラジオを聴いたのがきっかけで、もっと詳しく知りたいとも思いました。

伐採の言葉のイメージ

伐採という言葉にどれほどの人が「木を切る行為」としてプレーンなイメージを持っていると思いますか。
どちらかというと、マイナスなイメージを持たれている人は多いのだと感じています。
特に自然や林業が身近でない都会在住の人ほど、現実とはかけ離れたイメージを抱いているものです。
その原因は環境問題にあります。
森は水をたたえ、空気を清浄し、生き物の住処となる大切な存在です。
農作物を育てる土壌があり、地面に根を張る木のおかげで土砂災害を防いでくれるという、人間社会にとってもそれは変わりません。
その中でも最も人間が恩恵を受けていたものがあります。
建築資材としてです。家を作り、家具に形を変えて愛されてきました。
でも、木材を求めるあまり伐採が過剰になってしまったら話は変わります。
海外の映像で、みすぼらしく枯れてしまった山肌を見たことがあるかもしれませんね。
あのような状態になってしまえば、山が自然界や人間界に与えてくれていたものが無くなってしまいます。
そのイメージが伐採という言葉についてまわっていたのです。

本当は悪いことではない

伐採にいい印象を持たれていない人もいるかもしれませんが、伐採には別の側面があります。
それは他でもない、山そのものを守るための行動なのです。

日本の場合、かつては全国各地で林業が盛んでした。
あちこちに林業用の鉄道が敷かれ、大きな丸太を運搬する光景は日常的に見られるものでした。
しかし、安い外国産の輸入材が入るようになると国内の林業は弱体化し、需要も減り、山は手付かずのままにされることも増えていきました。
本来なら伐採と植樹のサイクルが成り立っていたものが止まったのですから、木は窮屈な状態で育ち、日光の届かない鬱屈とした森が増えていったのです。
木があったとしても山の機能を果たすほどの元気が無い、それを改善するためには、適度な伐採、つまり間伐が求められるのです。
その間伐材をどう活用するかなど課題はありますが、自分たちが暮らす土地は自分たちで守らなければいけない、そんな当たり前のことをラジオの特集から教えられました。